旭市の概要
旭市は、千葉県の北東部に位置し、南は美しい弓状の九十九里浜に面し、北には干潟八万石といわれる房総半島屈指の穀倉地帯と、なだらかな丘陵地帯である北総台地が広がっています。市の中央をJR総武本線と国道126号が通り、周辺は市街地として発展しています。また、施設園芸、畜産、稲作、露地野菜など盛んな農業をはじめ、水産業、商業、工業など、バランス良く成長しています。
旭のあゆみ
旭市の南部は美しい弓状の九十九里浜に面しています。その九十九里海岸低地が形成されたのは、今から四千〜五千年前の縄文時代で、この頃から人々は生活をしていたといわれています。現在まで、縄文時代の遺跡とみられる痕跡が市内で7ヶ所見つかっており、大塚原古墳からは、弘文天皇妃耳面刀自(みみもとじ)媛とみられる人骨も出土しています。当時のこの地域は海抜10メートル以下の低地がほとんどで、椿海とよばれる湖が広がっていました。
戦国時代の末期、豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼすと、それまでこの地域を支配していた千葉氏一族も滅びました。後に、下総国海上郡一万石に配置されたのが、木曽義仲の十九代子孫の木曾義昌であり、末永く人々に語り継がれる領主でした。
江戸時代中期に入ると、北部に広がる広大な湖、椿海の干拓が始まりました。干拓によって周辺各村は用水源を失ってしまい、溜池や惣掘を造成しましたが、水田用水に悩み続け、300年後の大利根用水工事の完成を待たなくてはなりませんでした。そして、戦後に入り、昭和13年にようやく起工した大利根用水工事が終了しました。この干拓地は、干潟八万石と呼ばれ、現在では首都圏の食料をまかなう東総の大穀倉地帯となっています。
平成17年7月1日には、旭市と香取郡干潟町、海上郡海上町・飯岡町が合併して、新「旭市」が誕生しています。
旭の名前の由来
嘉永5年(1852年)、野々口隆正(京都の歌人)が当地を訪れ、室町幕府滅亡後、当地を治めていた戦国武将の義昌公を偲んで歌を詠みました。
「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」
この歌が「旭」の名前の由来となっています。
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大原幽学記念館 |
| 住所: |
〒289-0502
千葉県旭市長部345-2
(大原幽学遺跡史跡公園内)
[地図を見る] |
| 電話番号: |
0479-68-4933 |
| 開館時間: |
9:00〜16:30 |
| 休館日: |
月曜日、祝日の翌日、年末年始 |
| 入館料: |
<一般>高校生、大人300円 小、中学生200円
<団体(15人以上)>高校生、大人250円 小、中学生150円
※身障者無料
※土日の小中学生利用は無料
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